2012年02月03日

【感想】ヒミズ

ヒミズ 古谷実

ギャグマンガ家としての古谷実の資質は、ずば抜けていました。フリ(ボケ)とオチ(ツッコミ)が論理的な笑いとすれば、不細工な登場人物の顔(絵)は感覚的な笑いですが、古谷実はその両方を高いレベルで提供していました。

しかし、それまでギャグマンガ家だと思われていた古谷実の作風は、このヒミズから一転します。ヒミズ単行本1巻の帯には「笑いの時代は終わりました…これより、不道徳の時間を始めます。」というコピーが付けられましたが、「お笑い」のマンガ家から「不道徳」のマンガ家に変わった理由を作者自らが公式に発表したものはないようです。

変わった理由としてよく言われるのは「長年お笑いを作っていたせいで心を病んでしまった」みたいなことです。果たしてそうでしょうか。お笑いに限らず、何かをストイックに追い求めていけばノイローゼになることはあり得ることかもしれませんが、古谷実に当てはまることでしょうか。

僕は当てはまらないと考えます。それはヒミズを含め、以降の作品のストーリーが破綻しているわけではないからです。破綻してないと言うよりもストーリーは論理的に進んでいきます。

意識して読んでみるとヒミズには数多くの伏線が張られていることに気付きます。僕はネタバレが嫌いなのですが、たとえばテル彦のシベリアンハスキーのように左右非対称な目とその後です(文字を選択して反転するとネタバレ)。伏線を張るということは、非常に論理的な作業であり、一般的な意味で心を病んでいる人間にはとてもできないことです。

タイトルになっているヒミズとはモグラの一種です。このモグラは日光を見ると死んでしまうという俗信があります。だから日を見ない、日見ず、というわけです。

底辺に生まれクズに育てられ、そして捨てられる住田君は、まだギリギリ普通だと強がって見せます。タチの悪い金貸しが取り立てに現れ(しかも家族のためではなく父親自身のための借金)、顔に大けがを負っても「こんな定番の不幸にはへこたれない、立派な大人になってやる」と不幸な境遇であることを認めつつも志は折れません。ですが住田君の不幸は続きます。その住田君が、自分を愛してくれる茶沢さんとの小さいけれど確かな幸せを垣間見た直後に銃の引き金を引くのは、まさに土に潜り続けたヒミズが日の光を見たとたん死んでしまうがごときストーリーです。ヒミズというタイトルには既にそういう運命が仕組まれています。誰が仕組んだのか?それはもちろん作者である古谷実です。

つまり、銃を手に取った住田君の「どうしても、無理か?」との問い掛けに「決められたことなんだ」と答える化け物の正体は作者自身なのです。醜い姿は象徴です。この自画像は、今までのように愉快なモノではなく不愉快なモノを披露するという公式な宣言に他なりません。

注目したいのは「僕といっしょ」の最終回で試みられた「クズな保護者への復讐」はヒミズにて果たされることになり、また、その先を見せたということで、同じモチーフの使い回しではなく螺線を描くように進化・深化していることです。作者が大きく変わったように見えても、それは表層的なことであり、根本においては一貫しているのです。

では、古谷実が一貫して表現していることとは何なのでしょうか。

それは「日常にあるズレ」であり「現実的な落差」なのだと思います。美と醜、貧と富、幸運と不運。そのズレは、ヒミズ以前には照れ笑いにごまかしていたのですがヒミズ以降には露呈させています。

何よりもこのヒミズで従来のギャグマンガから逸脱してみせたことが、古谷実の生み出した最大のズレなのかもしれません。

ラベル:マンガ
posted by ガトー at 19:11| Comment(0) | マンガ | 更新情報をチェックする

2012年01月05日

【感想】神々の山嶺

神々の山嶺 夢枕獏 (原作) 谷口 ジロー (作画)

「孤独のグルメ」から谷口ジローつながりでもう一作。
作画が同一人物と言っても「孤独のグルメ」的な雰囲気を期待してはいけません。こちらはエベレストに挑む過去の、そして現在(舞台の時間軸の中での現在)の男達の熱いドラマです。そこにはエベレスト初登頂の謎を巡るカメラの存在があり、ドラマを複合的に盛り上げます。

共通点と言ったら、やはりこちらにも物を食べるシーンがある点でしょう。僕はこういった補給のための食というのも好きだなと思いました。つまり食べる描写が好きだってことに気付かされました。このマンガを読んでからというもの、紅茶やコーヒーを飲む度に心の中で「水分は摂り過ぎることはない…」などと無駄につぶやいてしまいます。ブルース・リーの映画を見た後にやたら目つきが鋭くなってしまう現象と似ています。

雪山登山というだけで命のリスクがありますが、世界最高峰のエベレストに挑むというのがどれだけ危険な行為なのか、マンガという疑似体験でありながら、リアルに伝わってきます。このマンガを読む前に偶然テレビで登山家の栗城史多氏が「装備品を少しでも軽くするために下着のタグまで切っておく」と言っていたインタビューを見たことも良い方に影響しました。

ただ、ビカール・サンという呼び名の由来だけはいけません。重厚なドラマにそのダジャレは不要です。そこに気付いた読者を笑わせてどうするんだ、夢枕獏よ。

ラベル:マンガ
posted by ガトー at 20:59| Comment(0) | マンガ | 更新情報をチェックする

2011年12月23日

【感想】孤独のグルメ

孤独のグルメ 久住 昌之 (著) 谷口 ジロー (作画)

ネット上(主に2ch)で繰り返し使われる、いわゆるコピペっていうものがありますよね。
そのコピペの元ネタはアメリカンジョークだったりアスキーアートだったり、純粋に誰かのコメ(レス)だったりするわけですが、マンガもかなりの割合を占めています。

そんな元ネタマンガの 1 つ「孤独のグルメ」
まあ、マンガ好きなら誰でも知ってますし、今さら感は否定できません。この誰でも知っているというのが曲者で、だからこそ読んでみたいと思いつつ今日まで先延ばしにしてしまったのです。

少し前、テレビドラマの「家政婦のミタ」が話題になっていましたが、話題になってから見る、話題だから見る、そういうのって少し抵抗がありませんか。ないですか。そうですか。

「孤独のグルメ」にも同じような抵抗を感じていた僕ですが、僕の感覚ではこのマンガが盛り上がっていたのは 3 年くらい前のことなので、そろそろ流行の後追い感も薄れてきたかなと。そうすると先ほど言いましたが今さら感が出てくるのですね。

でも、別に最先端を追いかけたいのでも、業界(何の?)をリードしたいのでもないのでいいのです。

前置きが長くなりました。
確かに面白かったです。「ああ、あのコピペの元ネタはこのセリフか」というような、なぞるような楽しみ方を最初はしてしまいましたが、これは仕方ないことでしょう。なにせ有名過ぎますから。

でも、そういうのを抜きに読んでみても面白い。と言っても爆笑するような面白さではありませんし、何か泣かせる人情話が出てくるわけでもありません。この不思議な面白さの原因は、特にオチの無い投げっ放しのストーリーや主人公の意味不明な感想(「ソースの味って男のコだよな」とか)に、原因がありそうです。

そこにはグルメマンガにありがちな食材の蘊蓄や調理法の追求や現代の食への警鐘や、そういう「説明臭さ」が一切ないのです。あるのは淡泊な描写−−特に取り立てて惹きつける点のない主人公、特に珍しくもない食べ物という、ありふれた風景そのものです。

見掛けが平凡で、よく分からない生業をしている男のつぶやくよく分からない感想は、決して読者の共感を呼びません。それが狙った効果であることはタイトルが「孤独の…」であることからも分かります。この「共感できなさ」は、より強く孤独感を強調する効果があるのです。結果として他者性(=隣の席の客っぽさ)が、そこに生まれます。

このマンガの妙な魅力の正体の1つは、初めての定食屋に入り隣の席の客が食べてるモノを見て、思わず同じモノを注文してしまうような「たまたま隣のサラリーマンが注文していたサバの味噌煮定食的な」刺激ではないでしょうか。(マンガ中にサバの味噌煮定食は出てきません、念のため。)

別にお腹が空いていなくてもラーメンの画像を見ただけでラーメンが食べたくなってしまうことがあります。つまり食欲は、時に空腹とは無関係に、脳への刺激によって起こるのです。

このマンガには食欲を刺激する魅力があると言っていいのかもしれません。

ラベル:マンガ
posted by ガトー at 21:30| Comment(0) | マンガ | 更新情報をチェックする
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